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Googleブックスの問題をよく追いかけてくれている商事法務の法律雑誌「NBL」が、ちょっと前にまた、「Google Books和解案の不承認決定に関する解説」(松田政行・増田雅史)という記事を出している。


和解案が修正されて日本があんまり関係なくなったというのはわかったけど、その点ばかりが強調されて不承認決定が実質的にどんな話だったのかはよく見えていなかったので、その辺を丁寧に解説してくれていてありがたかった。


読んでいてなかなかおもしろかったのは裁判所が「クラス代表の適切性」について指摘した部分。クラスアクションとして訴訟を起こした人たちが、本当にそのまとまりを代表する資格があったのか、とか多分そんな感じのことね。
で、ひとつは構成員間で利益対立があるじゃんというところの指摘。

学術書の著者:Pamela Samuelson教授の意見を引用する形で、学術書の著者は知識へのアクセスを最大化することに尽力するのに対し、全米作家組合と米国出版社協会は利益を最大化することに尽力していると指摘された。
(NBL953号36ページ)

なんか、ちょっと本題をはずれるけど、学術書と商業出版の違いみたいなところで、おお。と納得してしまった。


この前読んだ岩波新書の『本は、これから』の中で上野千鶴子が、日本がGoogleブックスの件で盛り上がっていたときの出来事として、こんなふうに記している。

グーグル訴訟が話題になった時に、谷川俊太郎さんなど日本ビジュアル著作権協会の一部メンバーから、集団和解離脱への参加を要請されたが、わたしはそれに乗れない自分を感じた。書き手なら……だれでも、もっと多くの人に自分のメッセージを届けたい、と思うのは当然ではないだろうか? 自分のメッセージを無償の公共財にするか、有償のクラブ財にするか、と「究極の選択」を迫られたら、わたしなら前者をとる。(…)無償でも届けたい……メッセージとはそういうものではないか。(…)
上野千鶴子「書物という伝統工芸品」『本は、これから』38ページ)

本は、これから (岩波新書)

本は、これから (岩波新書)


実際には(旧和解案でも)Googleブックスに収録されることはイコール無償で提供することでは全くなかったけどまぁそれはともかくとして、こういう感覚はうなずけるにせよやっぱりアカデミック寄りなものなのかなぁと、上の指摘を読んで思った。
そりゃ伝えるためのメッセージだし、言ってることは正しいけど、それだけじゃなかろうなという。


もうひとつ「クラス代表の適切性」に関連する指摘。

…通常のクラスアクション訴訟においては、クラス構成員が過去の事実に関する請求を放棄するにすぎないのに対し、本件では、クラス構成員は著作権の存在する作品を将来にわたり使用することの許諾をGoogleに付与したものとみなされる点で異なる(そのため請求手続をとらない者の存在を軽々に扱うべきではない)と指摘…
(NBL953号36ページ)

将来的にどんな利益が発生するかわからないわけだしね。そりゃ、「申し出ないやつはしょうがないじゃん」では乱暴すぎると。確かに。


そんで最終的に、

…本件裁判所は、反対意見として提起された多くの問題は、新和解案をオプトアウト方式からオプトイン方式に転換することによって改善される旨を述べ、訴訟当事者に対し、これに沿って和解契約のさらなる修正を検討するよう強く要請し、確定力のない(without prejudice)決定として、上記棄却決定をなしている。
(NBL953号38-39ページ)

えええ結局そこー! っていうね。
ちょっとずっこけましたね。


Googleブックスの旅はまだまだ続きそう。
これが「急がば回れ」的な教訓になれば、笑えるような、笑えないような。