ふることふみ

こうの史代さんの「ぼおるぺん古事記」が完結してしまった。

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

ぼおるぺん古事記 (一)天の巻

ぼおるぺん古事記 (二): 地の巻

ぼおるぺん古事記 (二): 地の巻

ぼおるぺん古事記 三: 海の巻

ぼおるぺん古事記 三: 海の巻

古事記を読もうと思ったのは、実家に戻ってきたとき、
地元の地名が古事記に由来している(らしい)ことを知ったからだった。

◆地名「袖ケ浦」の由来
古事記」には、「大和朝廷日本武尊ヤマトタケルノミコト)が相模国から東征の折り、走水(東京湾)を渡る際に大時化にあい、妃の弟橘媛オトタチバナヒメ)が海中に身を投じて海神の怒りを鎮め、尊の渡海を助けた。」と記されています。
そこから妃の袖が流れ着いたという言い伝えが生まれ、「袖ケ浦」という由緒ある名が付いたと言われています。
袖ヶ浦市 市の紹介(プロフィール、人口など)

そういえば読んだことないし、どんなものだろうと思って、
ぼおるぺん古事記」と現代語訳の古事記を読み始めたのだった。

(↑現代語訳でこれを選んだのはパブリで電子版が読めたから)


で、読んだんだけど、この現代語訳ではお目当ての部分はだいぶさらっと書かれていて地名を見つけられず。
ぼおるぺん古事記は、そこに至る前までで完結。笑


というわけで、また別の現代語訳も読んでみようと思います。
こうのさんは「いつか続きを書きたい」と言っているので期待しつつ。
(しかし「袖が流れ着いたという言い伝え」という部分は古事記にはないのかもしれない)


ともかく、古事記の内容を知って一番心に残ったのは、
「男(男神?)ども、“見ちゃダメ”と言われたものを覗きすぎだろう。そして覗いてびっくりして逃げすぎだろう」
ということである。
鶴の恩返し的なエピソードではあるんだけど、なんでこう何度も繰り返し出てくるのか。
当時としてはそれが最高におもしろいパターンだったのだろうか。
火サスの崖みたいなものなのか、これは。