puzzling shelves
五反田のあゆみBooksに行ったら店先に
「あゆゴPAPER」というフリーペーパーが置いてあった。
“あゆみBooks五反田店からの情報誌”とのこと。
中は本の紹介がメインなんだけど、
書店員さんのリレーエッセイも載っていて、
この回は「本と陳列」というテーマだった。
お店によって出版社別や著者別など色々な陳列があるので、初めて行く本屋では、書店に勤めている者でも、迷ってしまうことは良くあります。しかし、そういった迷った時こそ、自分の意図しない本との出会いがあります。ネット書店では起こりにくい、リアル書店での長所です。
そのため、私は意図的に、お客様を迷わすような陳列をすることがあります。お客様が求める本を円滑に届けることが書店員の本来の仕事ですが、偶然の出会いを演出することも、大事な仕事だと思っています。一見、アンビバレンツな感情ですが、このバランスが良く、お客様にとって居心地のいい本屋さんが、良い本屋さんだと思っています。
(リレーエッセイ 書店員のつぶやき3 本と陳列 文・店員太田 『あゆゴPAPER』2013 Winter)
特に引用後半の
「意図的に迷わす陳列」
「偶然の出会いを演出」
というのがおもしろかった。
並べる組み合わせを考えるのを超えて、
迷わせるところまでやるのかーと。
この間はお店にあまり長居できなかったので、
今度行った時にはもう少しじっくり棚を見てみようと思った。
influence of books
最近、けっこう以前に読んだ本を読み返したり、はじめに読んだとき気になって付せんをつけてあったところをinbookに記録したりしているときに、「あれ、このことってこんなところに書いてあったんだ」と思うことが何度かあった。
「このこと」というのは単純な情報という意味ではなくて、自分が意識的にか無意識的にか心がけようとしていることとか、いつの間にかそういうふうに考えるようになっていたやり方とか、そういうもののこと(“ハビトゥス”と呼んでもよいかどうか)。
例えば村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』にこういう文章がある。
ぼくは確か9年前くらいにこの本を読んで、この部分に付せんをつけたのだけど、ここにこういうことが書いてあるのはその後まったく忘れていた。
でも、去年の8月に書いた記事(flow of books)にあるような「読む本の決め方」は、特に「それまでの流れに合った本にする」という部分では、上に引用した言葉をほぼそのまま実践しているような形になっている。
次に読む最後のその一冊に絞り込むには、
自分の中にある「流れ」を読まないといけない。
(…)
そうやって自分のことを自分に聞きながら、
その流れに沿いながら、毎日を過ごしている。
ぼくは別に村上春樹を意識してそういうやり方を志向したわけではないし、『ダンス・ダンス・ダンス』は特別好きな本というわけでもなかったのだけれど(現にもう手放してしまっている)、影響を受けていることは否めないと思う*1。
ここのところ村上春樹の本に限らずこういうことに気付くことが数回あって、あらためて、本を読むと書いてあることに影響される、しかもわりと深いところで、ということを思い知った。
もちろん影響を受けるというのは良し悪しだし、どの本のどの部分が誰にどういう影響を与えるか(与えないか)は全く個人的な要素に左右されるのだとは思うけど。
ふることふみ
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古事記を読もうと思ったのは、実家に戻ってきたとき、
地元の地名が古事記に由来している(らしい)ことを知ったからだった。
◆地名「袖ケ浦」の由来
「古事記」には、「大和朝廷の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が相模国から東征の折り、走水(東京湾)を渡る際に大時化にあい、妃の弟橘媛(オトタチバナヒメ)が海中に身を投じて海神の怒りを鎮め、尊の渡海を助けた。」と記されています。
そこから妃の袖が流れ着いたという言い伝えが生まれ、「袖ケ浦」という由緒ある名が付いたと言われています。
(袖ヶ浦市 市の紹介(プロフィール、人口など))
そういえば読んだことないし、どんなものだろうと思って、
「ぼおるぺん古事記」と現代語訳の古事記を読み始めたのだった。
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で、読んだんだけど、この現代語訳ではお目当ての部分はだいぶさらっと書かれていて地名を見つけられず。
ぼおるぺん古事記は、そこに至る前までで完結。笑
というわけで、また別の現代語訳も読んでみようと思います。
こうのさんは「いつか続きを書きたい」と言っているので期待しつつ。
(しかし「袖が流れ着いたという言い伝え」という部分は古事記にはないのかもしれない)
ともかく、古事記の内容を知って一番心に残ったのは、
「男(男神?)ども、“見ちゃダメ”と言われたものを覗きすぎだろう。そして覗いてびっくりして逃げすぎだろう」
ということである。
鶴の恩返し的なエピソードではあるんだけど、なんでこう何度も繰り返し出てくるのか。
当時としてはそれが最高におもしろいパターンだったのだろうか。
火サスの崖みたいなものなのか、これは。
comics as a hero
このあいだ図書館に行ったら「まんが日本の歴史」が置いてあって、
ああこれだ! これこそ図書館(図書室)だよな!
とか感慨にふけってしまった。
というのは、自分が小学生のころ、確か月に2,3回くらい図書室に行って本を読むという授業(?)があったんだけど、基本的にマンガは置かれない小学校の図書室において例外的な特権を得て設置されていた「まんが日本の歴史」は子どもたちのヒーローだったわけですよ。そりゃみんなマンガ読みたいもんね。キャーまんが日本の歴史サーン。
ただ、まんが日本の歴史はセットで15冊くらいしかないうえに貸出中のものもあるから、30人以上いるクラス全員にはとうてい行き渡らない。そうするとまぁ争奪戦なんだけど、だいたいは(今風に言えば)クラスでランクの高い男子のもの、という感じだったと思う。ぼくみたいに弱っちい男子とか控えめな女子とかにはまんが日本の歴史は残らない。文字通り歴史は強者のものなのであった。(違
で、マンガが読めないとしかたないから普通の本を読むしかない。まぁぼくは昆虫の図鑑とかが好きでしたけど、ともかく、そうすると読書をよくする人っておのずと控えめな人になるよなぁ、とかふと思った。この状況に限った話だけど。
ものの本
iPod touchで電子書籍をよく読むようになったが相変わらず紙の本も買っている。紙の本を買うときにいちばん面倒なのは、状態が気になることだと思う。あまり気にしない人もいるだろうが、ぼくはモノとして定価で買う以上はきれいなものを買いたい。だから、探していた本が売っていてもカバーにキズがある1冊しかなかったりすると、「せっかく出会えたのにふざけんな」と思いながらほかのお店を当たることになる。そういう意味ではAmazonなどの通販も自分で選べずリスクがあるので新品はまず買わない(多少のキズがあっても納得できる値段になった中古品はよく買う)。同じ理由で、書店にないものを注文することもしない。都心なら書店が多いからまだいいけど、郊外にいると結構きつい。結局東京に用事があるときまとめて買ったりしてしまう。それはそれで楽しいのだが、帰り道の荷物は相当重い。やっぱり面倒である。それでも相変わらず買っている。
拓本女子は電車に乗る
新潮2013年1月号269〜321ページに掲載された、
尾崎真理子「石井桃子と戦争」(前篇)を読んだ。
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この記事は前篇だけで170枚ある長篇なのだが、それでいて実は石井桃子の評伝の一部分でしかないらしい。
本稿は私の書き進める石井桃子百年の評伝の第三章にあたる。幼少期から女子大卒業まで(第一章)、文藝春秋社の新米編集者時代から『幻の朱い実』に描かれた小里文子との日々(第二章)、そして戦後の岩波書店での活躍から米欧留学、かつら文庫の開設(第四章)、そして晩年の日々(第五章)も、その評伝には含まれることになるが、まずは、『クマのプーさん』との出会いから『ノンちゃん雲に乗る』の出版まで。石井桃子の仕事を代表する二作を結ぶ、彼女の二十六歳から三十九歳にかけての人生の真昼の時間、そしてこれまで最も不明の部分が多く残されているこの時期の石井桃子の像を、明らかにしていきたい。
(272ページ)
全部できたらどんだけ長いんだ、とびっくりしてしまう。
図書館関係の人が気になるのはやはりかつら文庫の第四章だろうか。この記事では名前が出る程度で直接的な記述はないが、1930年代ころに石井桃子が開いたもののすぐに立ち消えてしまった私設の児童文庫「白林少年館」については同名の出版部についてと合わせて数ページが当てられている。
その中の井伏鱒二の述懐を引いてみる。
<そのころ石井さんは一生の念願として、優秀な児童文学を子供たちに読ませる児童図書館をつくろうとしていたのです。…しかし図書館を建てるには相当の費用が要る。…それで知りあいの犬養健さんに頼んで、犬養さんのお父さんの犬養木堂さんの書庫を児童図書館に当てることになりました。話はとんとん拍子に進んだようでした。木堂さんは石井さんの理想に大賛成であったのです。ところが例の五・一五事件で当時の首相であった犬養木堂さんが、あのような悲しい最後をとげました。
その結果、石井さんの計画は頓挫しましたが、(…)>
(305ページ、省略は引用者)
なお犬養木堂とは犬養毅のことで、この記事の序盤に犬養毅の書庫の整理に石井桃子が紹介されたいきさつが述べられている。そんなことしてたのか、という。書庫にあったのは「膨大に積まれたままの、背表紙のない和綴じの支那書のコレクション」だったらしい。そして犬養毅の死後にそれらが処分され、空いたところに文庫が作られている。
「木堂さんが亡くなると、健さんたちに頼まれて、書庫にあった本を全部、私が神保町の小宮山書店に引き取ってもらう手伝いをしたんですね。それで…しばらく経った頃…『小さい子どもの文庫をしようかと思う』って話をしたら…『…石井さんに貸してあげるわ』って言って、土蔵を空けて下すったんです。そしていろんな知人から子どもの本を集めて、学習院からはもう廃棄する本なんていうのももらったりして、その土蔵で近所の子供を集めて本を読んだりし始めていたんです」
(304ページ、省略は引用者)
これが本人の談で、井伏鱒二の詳述と食い違うところはあるが、戦争がひどくなったことで文庫が立ち消えてしまったことには変わりないようだった。
しかし本を引き取ったのが小宮山書店とは…知っている本屋さんが出てくるとおもしろい。
それはともかく、これらの流れを見て著者は、
…井伏の述懐のとおりならば、後年の「かつら文庫」に代表される家庭文庫活動は、石井が二十代の半ばから、きわめて具体的に構想されていたことになる。しかもこの頃から、翻訳書を出版する「本屋になる」という志も、ほぼ同時に実現に向けて進行していたわけである。石井桃子という人の能力は、机上の仕事にとどまらず、他人を動かし、実現に持っていくプロデューサーに近い企画力、ネットワークづくりにおいても、常人をはるかに超えているのをつくづく思い知らされる。
(306ページ)
とまとめている。
やはり作るべく人が作った、という感じだろうか。
ところで石井桃子は井伏鱒二を通じて太宰治とも面識があったようなのだが、太宰の死後に井伏が書いた随筆では二人が共演している。
その具体的な内容は記事を読んでもらうとして、気になったのはこの箇所である。
<今年の夏、もと文藝春秋社にゐた石井桃子さんといふ女性と私は電車のなかで逢つた。桃子さんは、顔眞卿の拓本をひらいて一心に見つめてゐた。(…)>
(310ページ)
で、電車で拓本とは。笑
拓本女子とでも名付けたい。
当時は珍しくなかったのだろうか。いまでもいるのだろうか。拓本女子。
さて、ぼくは特別に石井桃子を追っているわけではないのだが、児童文学ということでなんとなく覚えがあるなーと思って、ずっと前にCOWBOOKSで偶然見つけて買ったポール・アザールの『本・子ども・大人』を引っ張りだしてみた。
- 作者: ポールアザール,Paul Hazard,矢崎源九郎,横山正矢
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1957/01/01
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せっかくなので最後にその内容を引いておこうと思う。
■本書について
石井桃子評 ポール・アザールの「本・子ども・大人」の日本語訳が再刊された。欧米では子どもの本に関心をもつ人びとにとって、必読の名著となっているこの本は、日本の児童文学に関心ある人たちにとっても、たのしい福音書となるだろう。
アザールは世界中の子どもを可能性いっぱいの人間と見、かれらが本質を見ぬき、本を選択してきた事実を認め、その力にふさわしい本を与えよと主張する。
アザールがこの本を著してから三十余年、いよいよその内容が新鮮に輝いてみえるのは、それだけ深く普遍的な真実をとらえているからである。 一九六四年再版に際して
この本は結構皮肉っぽいところもあって好きだった。