Googleブック感情論(2) わかったらあとは、お気に召すまま

グーグル「ブック検索」拒否が"書籍を殺す"とわからない人々(前編)(後編)
(日刊サイゾー
を読む。


前編の方に、

呑まずに和解案から離脱すると、自分の書籍を利用されることはなくなる。

とあるけど、昨日取り上げたNBLの記事によれば、この理解は正しくない。


「オプトアウトした場合の効果」の項を、もう一度、こんどは省略せずに引用しておく。

3 オプトアウトした場合の効果

 和解集団の構成員は、和解からオプトアウトした場合には、権利保持者とはならず、和解の諸条件に拘束されないことになる。これは、和解に伴う失権(Googleに一定の利用を許諾したものとみなされる等)がない一方、和解によりもたらされる権利(使用制限の権利、各種の金銭の支払いを受ける権利等)を逸失することを意味する。
 ここで、和解に伴う失権がないとは、Googleによる書籍の利用行為が行われないという意味ではなく、その利用行為に対して訴訟を提起する権利が残存するのみであることに注意しなければならない。
(松田政行、増田雅史「Google Book Search クラスアクション和解の実務的検討(下)」、NBL 906号、94-95ページ、太字は引用者)

これによってサイゾーの著者の「和解を拒否するな」という主張が反駁されるわけではない(てか、どっちかっていうと補強されると思う)けど、オプトアウトするかしないか考えている人たちにとってこの違いはかなり重要だと思う。


とりあえず、本当に著作物を使われたくない人は、和解には参加して、利用制限を施す、っていう形が現実的だと思うけど、「和解」という言葉を普通にとらえると「仲直り」みたいな意味もあるから、お前らと仲直りしたと思われたら迷惑じゃ、みたいな感じで和解に参加しようとしない輩もいるんじゃないだろうか。
そういうのはもう、主義主張というか、好みというか生き方というか、そんなたぐいの問題なので、好きにさせたら? とぼくは思うし、そこに公共性みたいなものを振りかざして無理に説得して和解に参加させようとするのは、それはそれでちょっとおかしくね? ていう感じはしている。人それぞれ納得の仕方というモノはある。


まぁ、ややこしくて誤解してる人とかよくわかんない人に、正しい情報を教えてあげることは必要だと思うけどね。押しつけるのでなく。
で、それは誰の仕事? ふふーん。