black-historical memories make me sad

実家に戻ってきて1ヶ月を過ぎてもエンドレスな片付けをし続けているのだけれど、小学校からの卒業アルバムだの文集だのの記録類が当然いろいろ出てくる。さすがにアルバムとかはとっておくにせよ、「こんなのは俺が卒業生を代表して保管しておく必要はない」と言い放って闇に葬るものも多い。創立*周年記念誌だの、学級通信だの、思い出に浸りたいときだけ自由に閲覧できる共同の保管庫に入れとけこの野郎、と叫んでバイクで走り出したくなる(ならない)。
実際にはそのような機関の設立など大変な困難が伴うことが想像され、結局のところ個人保管が最も効率的になりそうなところが非常に迷惑である。個人保管と言えば聞こえはよいが単なる史料の離散であり、庭に蔵でも建てない限り100年後に発見されてありがたがられる可能性は乏しい。今後、古文書の発見される場所がプレハブ物置でいいのか? そこのところをよく考えていただきたいのである。「100年後に100人乗っても大丈夫です」そういう問題ではない。