懐かしの次世代
関祐司「“検索技”を磨く時代は終わった」
(日経パソコン 4/26号 52ページ)
を読む。
ネイバージャパンの方の小さな囲みコラム。
以前は、複雑なオプションを組み合わせて目的の情報にたどり着くことも多かった。だが今は、検索エンジン自体がかなり賢くなった。…もはや、ユーザーが検索技を磨くような時代ではないだろう。
ネットのユーザー層も広がった。ただ検索ボックスがぽつんと置かれているだけでは、どうしてよいか分からないという人も出てきている。検索キーワードを入力しなければ何もできないというサービスでは、使われなくなるだろう。
これはサーチエンジンの話だけど、OPAC大丈夫なのかとか思ってしまう。まぁOPACだけじゃなくて、サーチエンジン以外のデータベース検索はだいたいそうなんだけど。
「使われなくなる」というのは代替物があるからで、なければ仕方なく使うわけだよね。検索技を磨くような時代じゃない人たちがね。
なので、サジェストくらいあってもいいじゃん、という話はわかる。
…一介の利用者の立場からすると、“Did you mean?(もしかして××ですか?)”機能がやはり欲しい、と…感じました。
(hatekupoの絶対国防圏「検索不得手な利用者から見ると、図書館OPACにも「もしかして?〜サジェスト機能」は欲しいです。」)
でも現状じゃしょうがないでしょ?っていう話も。
仮にも図書館で検索システム(OPAC)を使おうなんて人は、普段インターネットで検索エンジンを当たり前のようにつかっているので、OPACにも googleにできることを期待しがちなのだそうだ…そしてOPAC 2.0は確実にそっちの方向へ進化するだろう。
無理もない話だが、今のところ、無理なものは無理だ。
(読書猿Classic「素朴な疑問を受け付けないデータベースにどう立ち向かうか?」)
無理なものは無理。泣
しかし、OPAC2.0なんて言葉が言われだしてからどのくらい経つのだろう。もう元ネタのWeb2.0なんて言葉もとんと聞かなくなってしまったような気がする(「次世代ケータイ」のことは、忘れてしまおう)。
OPAC2.0が一般化するころにはすでに時代遅れになっていそうでちょっと怖い*1。
それでもサジェストはないよりはあったほうがいいんだけども。
データベース検索は、図書館員やサーチャにしかできない時代があって、その後ユーザが検索してもさして変わらない状況になったのかもしれないけど(全員ちゃんと検索できるわけじゃなかろうが)、今後サーチエンジンの進化のおかげで逆説的にユーザの検索スキルが下がって、また図書館員やサーチャにしかうまく検索できなくなっていったとしたら、OPACがサーチエンジンの新技術に覆い尽くされるまでは、それが図書館員の専門性なのだ、とか言うのは笑い話なのでしょうか。
さて、OPACの話になったのでついでに書いておくと、大好きな菜の花さんの日誌で、“借りられないけど検索される研究用資料”の話が出ていました。
「借りられないものをOPACで表示することに意味はない」「貴重な時間のロス」というご意見も戴きましたので(菜の花もそう思います)、その対応についてもご説明しなくては。
(借りられない本は、検索できない方がいい)
実は以前つとめていた理工系の大学図書館でも同じ問題が発生していて、やっぱり非表示にするという対応がされたのだった。
借りられない本も表示させることで、発見性を高めたり(「こんなのもあるんだよ」的な)、蔵書のアピールになったり(誰に対して、というのはいろいろあるかもしれないが)というメリットも考えられるんだけど、結局利便性はあまりなかったということか。
そもそもこのインターネット時代(笑)、発見的網羅的な調査をするのに単館のOPACをわざわざ使うのは(NDLとかでなければ)考えにくいわけで、「その図書館にいま現にあるもの」を探しているのが第一になるのは当然だとは思う。
まぁ公共図書館なんかだと、買ってない本のデータも出しちゃって要求があった時点でリクエストとして処理する、みたいなものがあるという話を聞いたような気もするし(うろ覚え)、館種というか図書館の使われ方によってもいろいろなのかもしれませんが。
なーんてうだうだ考えながら。
まぁ結局はあるものでやっていくしかないんだけどね
(というのは、本当だろうか)。
*1:どうでもいいがぼくが図書館で働いていて気付いた法則に「“最新版”と書いてある本は古い」というのがある