暗黒文献は古書の宇宙に

海渡雄一「情報偏在事例における資料収集と提出-実例の紹介を中心として」
(法律時報82巻2号)
を読む。


もんじゅ訴訟の資料をどんな風に集めたか、という話。
重要な非公開レポートを古本屋で見つけたというのがおもしろかった。

4 安全審査資料の公開
(略)
…我々はこの解析結果を古本屋で見つけた資料によって知るところとなった。「高速増殖原型炉『もんじゅ』HCDA解析」と表示されたレポートが都内の古本屋で三〇〇〇円で売られていたのである。「特に限られた関係者だけに配布するものです。ついては供覧、複製、転載、引用等を絶対に行わないよう厳重に管理して下さい。」と記載されていた。この資料の配付を受けた研究者の誰かが、何かのおりに蔵書を一括して古本屋に売却したために、この資料が明るみに出ることになったのであろう。我々の立証活動はこのような偶然にも依存しているのである。
(19ページ)

図書館は基本的に市販された公開資料を収集するところだと思うので、たとえ国会図書館みたいに網羅収集を目指すようなところでもおのずと限界があって、その資料の限界が調査能力の限界にもなるのかなあと思った。
できることとできないことがあるのは確か。


でも、古本屋さんに売ってるってことは図書館が購入所蔵する可能性もあったわけで、研究図書館などではそういう非公開レポートもどこかで入手できないかと虎視眈々と狙っていたりなんかするんだろうか。別にしないんだろうか。
まぁこのケースは必要な人が必要な情報を入手できたのだからよかった。
(市場にあるというのは、逆に消滅させられるリスクもあったわけだが)


普通に流通しない資料を「灰色文献」なんていうけど、ここまでくるともう真っ黒。
でも古書店にはそんなものだってあったりするわけなのね。


本文でも、古本屋さんでの資料の入手を「裏ルートでの代表的なもの」と呼んでいる。笑
ちなみに「表ルート」としているのは国会議員を通じた公開請求など。そういう誰にでもできるわけじゃないことを「表」として、お店で誰でも買える状態にあるものを「裏」と呼ぶのもなんとなく不思議な気がしたけど、訴訟で一般的なやり方としてはまぁそうなんだろう。


ともかく、古書店は頼りにされているのだなぁ。


このあいだ 日本の古本屋シンポジウム「滅亡か、復権か」 というのがあったけど、こういうのを見ると滅亡なんてとんでもないなと思う。
経営的なことは、また別だとしても。


もし図書館のレファレンスが「市民の最後の砦」になっても、その図書館も最終的には古本屋さんに頼りそうな気がする。


ボスのあとに出てくるラスボスみたいな。