コンテクストの卵、または、20000PVについての御礼

このブログをはじめて11ヶ月ほどが経過し、いつのまにやらページビューも20000を越えました。
こんな勝手気ままなものをご覧いただいて恐縮しきりです。
うーん、もっとひっそりやっていくつもりだったような気もしますが、、、反面、時々ひろっていただくのはうれしいというのも否定できません。
いつもありがとうございます。
もともと「1年くらいは続けてみたい」と言ってはじめたものですが、もう1年くらいやってもいいかなぁという気分でいます。
今後ともよろしくお願いいたします。


さて、せっかくなので振り返りを。


書きはじめたときに考えていたのは、自分で何かを調べたりしたときとか、ニュースなどを読んで思うことがあったとき、それをメモしておくところがほしいなぁということでした。だから、別にブログでなくてもよかったかもしれないし、プライベートモードにしていてもよかったかもしれない。でもまぁ公開ブログにしておいた方が使うときは便利だし、こんな零細ブログで言うようなことをいちいち誰も気にしないだろうし、あまり手の込んだことをする方がむしろ自意識過剰だろう、などと、そのときに思っていたわけではありませんけど。まぁなんの気なしに始めてみました。
はてなは、重いのがたまにキズだけど、検索精度は高いのでその辺は重宝しています。どのサービスで書くかを選ぶときにもそれは重視しました。書いたはずのことがヒットしないと記録する意味がないので・・・


そんなわけで、とりあえずやってみたのは、ニュースへの反応(newsreply)と、たまーに参加するイベントについての簡単なレポート(event)でした。まぁ、どこかで誰かがやっているようなことですよね。
それから少しして、その日あったことを(職場バレしないように)振り返ってみるといういわゆる「日記」のようなことも始めてみたりして。“日常を伝える”なんて恥ずかしいことは言わないにせよ、やっぱり一日の反省をするのは自分にも役に立つことが多くて、毎日はできませんけど余裕があるときには書くようになりました。
ちなみに脱線しますけど、ぼくが一番好きな図書館系ブログは菜の花の大学図書館日誌で、日記のようなものをはじめてみたのはその影響でもありました。大好きです。(告白終わり)
てなわけで、タグ(カテゴリー)はもう少しいろいろあるにせよ、基本的にはこの3つをメインにやってきているように思います。


が、飽きた。(ちょ


イベントにそう行くわけでもないし、ニュースにひとりでなんでもかんでも(一発ギャグならぬ)一発ツッコミを繰り出し続けててもなんかむなしくなるし、日常が単調ということはないけどまぁ普段は普段だし。
で、はじめはなぜか1日3本とかやっていた記事の投稿間隔も開いてきて、どうしようかなーなどと。
思っていたときに、こんな文章を読みました

なんかですね、ここんとこ昨今の、世の人々の、インターネットを介しての個人ベースによる情報のやりとりの有り様っていうのが、なんかこう、当初江上が予想・想像してたようなのとはちょっとちがってきてるな、ていう感じなんですね。なんだろう、これほどまでに「断片」と「断片」のやりとりばかりになろうとは、思ってなかったです。これほどまでに「文脈」というものが無視される有り様になろうとは、思ってなかったです。
 それが、良い悪い、という問題ではないんですよ。別に「断片」のやりとりが問題だなんて言うつもりはさらさらなく、ただ、これほどまでにそうなるとはちょっと予想してなかった、ていう。
…(略)…
江上がかつて思い描いてた「あらゆる情報の、個から個への、低コストで簡単な流通」ていうのは、それは「文脈」と「文脈」の出会いだったんですね、「だったんですね」てエラそうに言ってるけどいまにして思えばそんな感じだったかもしれない、てだけですが。もちろん、情報が「断片」化することくらいは容易に予想できるわけですけども、とは言ってもそれは、「文脈」と「断片」が出会って新しい「文脈」が産み出されるとか、「断片」と「断片」が出会って新しい「文脈」が産み出されるとか、そんな中にあって2割か3割かくらいは「断片」と「断片」が出会って、結果、「断片」だけだとか、そんな感じだろうかなと漠然と考えてましたよ。
 ところがぎっちょん、「断片」と「断片」が出会って、結果、「断片」だけ、ていうのがいまや8割9割じゃないですか。情報が、積み築かれて城になるわけでも、絡み合って織物になるわけでもなく、連なって線になることすら稀で、点と点がぶつかって、点、ていう。
 心の声:(・・・・・・それって、おもろいか?)


「ごあいさつ または、江上がopenindex・・・LLResourceを閉じた理由 (小沢健二・・・)」(egamiday2+)

もう3年も前に書かれたこの記事を読んで、単純に、これはすげえぞと思ったんですね。
その上で、自分のやっていることを考えて、確かに断片だ、とも。
もちろんegamidayさんはそれが良いとか悪いとか言ってるわけではなく、ぼくとしても断片的な乱発はある時期においては必要なことだったので、しょうがないとは思っているのですが、まぁ現に飽きたということもあって、多少思うところはありました。


そういうわけで、これを読んでからはちょっと、文脈というものを意識するようになったというか。
ニュース読んでなにか思っても、単独ですぐには反応しないで、少し置いてみて、またそれに関する記事なり、考えなりが増えたところで書いてみようかと。
それだけで文脈が作られているかどうかはわかりませんけども、まぁ文脈の「卵」みたいなものにはなっているんじゃないかって。
そんなふうにしてみたところ、投稿もある程度安定した感もありますし、余計なものに反応しなくなった気もします。
本当に自分の興味があるものを見つけるのは意外と難しい。
文脈というものは、そこへ適切に絞り込みをかけるような力も持っているのかもしれません。
まあ、それはともかく。


同じころ、ぼくはもうひとつ、読んで気になっていたフレーズがありました。
穂村弘さんの対談集にある長嶋有さんとの一幕でした。

長嶋 …ネットは一見、成功例があるように見えるし、しかも手応えもあるんです。かたや同人誌なんかを何十部か作ってもなんの反応もないし。「どっちが不毛なの」とか聞かれたら答えられないくらいこっちが弱いんですけど。でも、なにかおかしいですよね。
穂村 お風呂に水を溜めていて膝までしかないのに待ちきれずに入ってしまう感じかな。昔ながらの根性とかシステムをそのまま肯定するつもりではないのですが、安易に表現できてしまうことの危険性はあると思います。


(『穂村弘 対談集 どうして書くの?』53ページ 筑間書房)

と、こうやってネットに書いてしまうのもどうかと思うんですが。笑
それはおいといて、やっぱり熟成させるというか、置いておく、溜めておくということも大事なのかしらって思わせられるのです。


そんなことを考えていたところに、上のegamidayさんが最近こんなことを書いてくれています

twitterも、これを「つぶやき」とか「ミニブログ」とかいう説明で置き換えるのは危険だろうというくらいに、blogとはたぶん概念がぜんぜんちがう代物。
 なんだけど、哀しいかな、これの影響で明らかにblogに割く熱量が減ってしまっている。投稿がめっきり減ってしまった。これはよろしくない。ちがう代物とはいえ、分量としてはblogで書けるくらいのまとまったサイズの何か−考えなりネタなり情報のとりまとめなり−が自分の中に溜まっていく感じ、そういう感じを日常的に持っているようでないと、よろしくない。
…(略)…
というような諸々を踏まえたうえでの2010ですが、twitterに代表されるような”細切れ”のあれこれ、それが別に悪いというわけではないんだけど、そこに熱量取られてて、”じっくり””大物”が結果ないがしろというのはよろしくない。


「ご挨拶 2009→2010」(egamiday 3)

「自分の中に溜まっていく感じ」。
まさに、というか、やはり、というか。
みんなそう思ってんのかなーというか。


ところで、関係あるのかないのかわかりませんけど、どうせ長くなったので便乗して書いてしまいますけど、最近ブログというもののの立ち位置が、Twitterの登場によってか、フローからストックに移ってきてるような気がするんですよね。
以前は、「ストックってのは印刷された情報を指して、ネット上にあるものなんかみんなフローなんだよへへーん」みたいな感じだったのが、ブログが市民権を得た(古い言い回しだな)ころには、「サイトはストックだけどブログみたいなのはフロー」みたいになって、それでこんどTwitterみたいなリアルタイムなものが出てきたことで、「Twitterはまさにフロー情報! ブログはまぁストック」的な、なんか雰囲気にね? なってないかって思うのですよ。
「ブログに書くほどのことじゃない」みたいな言い方ってまさにそれを表しているわけで、それってブログに書いたら残っちゃう=ストックされちゃうからってことでもあり、ブログは「記事」だからしっかりした体裁で書かなきゃみたいなことでもあり。
まぁぼくは技術的なことはわからないですけど、情報に関する「フローとストック」という概念ってそんなに相対的でいいのかよって、なんかちょっとビビってしまったりもする。


で、ちょっとストック気取りだからって気軽にブログも書けないようなこんな世の中なんてポイズン!
とか思う一方、
そういう立場に来たからこそ文脈的なものが要求されてんのかなぁなどと思ったりもするわけで。
まぁぼくはぼくがやっている(書いている)ことに飽きなければどうでもいいんですけど。笑
飽きるのであれば、ちょっとだけ、意識していこうかなと思っている次第です。


折りしも今年、小沢健二のカムバックが発表されています。
「心変わりは何かのせい」なのでしょうか。
遠くまで旅する恋人には、あふれる情報を絞ってあげたいですね。
それで幸せならバンザイなのですが、さて、そうそううまくいくかしら。