「図書館での自習」という記憶

わたくしごとを述べようと思います。


ぼくは、図書館(室)ではたらいてはいますが、
図書館で勉強したことがほとんどありません。
というか、できない。
利用は、結構していると思いますが。


そんな数少ない経験のなか、思い出すのは高校3年生の夏休み。
学校の図書室は、受験生のたまり場でした。
もちろんみんな各自で勉強してるわけだけども。


図書室で勉強するという習慣のなかったぼくですが、
仲の良い友達がそこにいるというので、
夏休み中何度か足を運びます。


しかしだよ?
やっぱりぼくには、友達と向かい合っているのに、
ただ淡々と自分の課題をこなしていくなんてことはできなかった。
というか、意味不明でした。
高校生は、箸が落ちても笑うオトシゴロ。
おもしろくなりそうな要素がそこかしこに転がっているのに、
それをみすみす逃すなんて。
うずうずして、勉強に集中なんてできるはずがありません。
まぁ、自意識過剰だったんでしょうね、
いまもその気はありますけれど。

ただ、友達の邪魔をするわけにはいかない。
こんなぼくでも空気を読むくらいの臆病さは持ち合わせていました。


そこでぼくは、受験勉強もそこそこに、ひとり書架へ赴いて、
カンタベリ物語についての新書をペラペラめくったりしてました
(世界史選択)。


まぁ、カッコ付けですよね、そんなの。
特別勉強ができたわけでもなしに。


そんなわけで、夏休み中何度か図書室には行きましたけど、
全然勉強ができた試しがないし。
だんだん自宅の自室でひとりで勉強するようになりました。
わざわざ電車に乗って、学校まで行って、
遊んでたんじゃ、なんの意味もない。
まぁしょうがなかったんですけどね、夏のテンションだし。
いまとなってはそう思います。


で、ぼくには全然合わなかった「図書館での自習」なんだけど、
友人たちはとても気持ちよさそうにそこで勉強してるわけです。
夏休みだから教室だって空いてるのに、あえて図書室。
それは単に、図書室にクーラーが設置されていたからでしょうか?
・・・。
うん、そうかもしれない。(爆
だが、いやいや、それだけではないだろう。
クーラーもまぁ相俟って、図書館(室)がかもし出す、
「雰囲気」みたいなものがあるんだと思います。
ここでは勉強しなきゃっていう。
それを友人たちは敏感に察知し、素直に利用していたのではないかと。
もちろんぼくも察知はしていたけれど、
むしろそれをぶち壊したいという思いとの葛(ry


とにかく。
ぼくは図書館で勉強ができない人間なのですが、
単なる自習室には入りたいとも思いませんし、
そこには自ずと雰囲気の違いがあるんじゃないかな、
って置いてあるものが違うんだし当たり前ですけど。


でまぁ、図書館にもしそういう良い感じの「雰囲気」があるんなら、
それはその館の質であり、価値であるので、
無下にすることもないかなとは、思ったりもします。


そしてぼくが図書館ではたらいているのも、
その雰囲気にひかれてのことのように感じるものはあります。
いや、友達さえそこにいなければ、なにもぶち壊すことはありません。
堪能するだけ。