創造のスープは未だ無価値(2009/4/5転載)

こないだ夜にやっていた、
3チャンネル(NHK教育)の記念番組には、
やっぱり爆笑問題が出てて、またか、
とは思ったけど、
VTRは、うまく昔の映像を組み合わせた、
おもしろい出来映えで、
これだよこれ。
ぼくが、図書館にいて、
もの足りないと思うのは、
ためこむだけためこんだ、古い資料が、
デッドストックになってしまって、
結局のところ、提供できているのは、いちばん新しいもの(の一部)、
だけじゃないかって。
古い資料も、取り出す方法だけならまだしも、
その組み合わせ方についての提案は、
資料の量に比して、少なすぎる気がする。
それは、使う人が考えることだよ、
という面もあろう。
でも、ただ、可能性に満ちた、資料のスープを、
箱の中に置いて、あとは待っているだけ、
なにもしない、
というのは、
「オレが本気だしたらヤバいぜ」
と、言っているだけの奴らと、
わりと似ている。
彼らにだって、可能性は、あふれているのだ。
だからこそ、使ってほしい、
と思うのはやまやまだけど、
そう思う本人は本当に使えるのか?
ここにあるものを使って、どれくらい創造できるのか、
身をもって示すことなくして、
本当の価値なんて、主張できるのかしら。