拓本女子は電車に乗る

新潮2013年1月号269〜321ページに掲載された、
尾崎真理子「石井桃子と戦争」(前篇)を読んだ。

新潮 2013年 01月号 [雑誌]

新潮 2013年 01月号 [雑誌]

後篇は2月号だけど、そちらはまだ未読。


この記事は前篇だけで170枚ある長篇なのだが、それでいて実は石井桃子の評伝の一部分でしかないらしい。

本稿は私の書き進める石井桃子百年の評伝の第三章にあたる。幼少期から女子大卒業まで(第一章)、文藝春秋社の新米編集者時代から『幻の朱い実』に描かれた小里文子との日々(第二章)、そして戦後の岩波書店での活躍から米欧留学、かつら文庫の開設(第四章)、そして晩年の日々(第五章)も、その評伝には含まれることになるが、まずは、『クマのプーさん』との出会いから『ノンちゃん雲に乗る』の出版まで。石井桃子の仕事を代表する二作を結ぶ、彼女の二十六歳から三十九歳にかけての人生の真昼の時間、そしてこれまで最も不明の部分が多く残されているこの時期の石井桃子の像を、明らかにしていきたい。
(272ページ)

全部できたらどんだけ長いんだ、とびっくりしてしまう。


図書館関係の人が気になるのはやはりかつら文庫の第四章だろうか。この記事では名前が出る程度で直接的な記述はないが、1930年代ころに石井桃子が開いたもののすぐに立ち消えてしまった私設の児童文庫「白林少年館」については同名の出版部についてと合わせて数ページが当てられている。
その中の井伏鱒二の述懐を引いてみる。

<そのころ石井さんは一生の念願として、優秀な児童文学を子供たちに読ませる児童図書館をつくろうとしていたのです。…しかし図書館を建てるには相当の費用が要る。…それで知りあいの犬養健さんに頼んで、犬養さんのお父さんの犬養木堂さんの書庫を児童図書館に当てることになりました。話はとんとん拍子に進んだようでした。木堂さんは石井さんの理想に大賛成であったのです。ところが例の五・一五事件で当時の首相であった犬養木堂さんが、あのような悲しい最後をとげました。
その結果、石井さんの計画は頓挫しましたが、(…)>
(305ページ、省略は引用者)

なお犬養木堂とは犬養毅のことで、この記事の序盤に犬養毅の書庫の整理に石井桃子が紹介されたいきさつが述べられている。そんなことしてたのか、という。書庫にあったのは「膨大に積まれたままの、背表紙のない和綴じの支那書のコレクション」だったらしい。そして犬養毅の死後にそれらが処分され、空いたところに文庫が作られている。

「木堂さんが亡くなると、健さんたちに頼まれて、書庫にあった本を全部、私が神保町の小宮山書店に引き取ってもらう手伝いをしたんですね。それで…しばらく経った頃…『小さい子どもの文庫をしようかと思う』って話をしたら…『…石井さんに貸してあげるわ』って言って、土蔵を空けて下すったんです。そしていろんな知人から子どもの本を集めて、学習院からはもう廃棄する本なんていうのももらったりして、その土蔵で近所の子供を集めて本を読んだりし始めていたんです」
(304ページ、省略は引用者)

これが本人の談で、井伏鱒二の詳述と食い違うところはあるが、戦争がひどくなったことで文庫が立ち消えてしまったことには変わりないようだった。
しかし本を引き取ったのが小宮山書店とは…知っている本屋さんが出てくるとおもしろい。


それはともかく、これらの流れを見て著者は、

…井伏の述懐のとおりならば、後年の「かつら文庫」に代表される家庭文庫活動は、石井が二十代の半ばから、きわめて具体的に構想されていたことになる。しかもこの頃から、翻訳書を出版する「本屋になる」という志も、ほぼ同時に実現に向けて進行していたわけである。石井桃子という人の能力は、机上の仕事にとどまらず、他人を動かし、実現に持っていくプロデューサーに近い企画力、ネットワークづくりにおいても、常人をはるかに超えているのをつくづく思い知らされる。
(306ページ)

とまとめている。
やはり作るべく人が作った、という感じだろうか。


ところで石井桃子井伏鱒二を通じて太宰治とも面識があったようなのだが、太宰の死後に井伏が書いた随筆では二人が共演している。
その具体的な内容は記事を読んでもらうとして、気になったのはこの箇所である。

<今年の夏、もと文藝春秋社にゐた石井桃子さんといふ女性と私は電車のなかで逢つた。桃子さんは、顔眞卿の拓本をひらいて一心に見つめてゐた。(…)>
(310ページ)

で、電車で拓本とは。笑
拓本女子とでも名付けたい。
当時は珍しくなかったのだろうか。いまでもいるのだろうか。拓本女子。


さて、ぼくは特別に石井桃子を追っているわけではないのだが、児童文学ということでなんとなく覚えがあるなーと思って、ずっと前にCOWBOOKSで偶然見つけて買ったポール・アザールの『本・子ども・大人』を引っ張りだしてみた。

本・子ども・大人

本・子ども・大人

訳者だっただろうかと思ったら違ったのだが、裏表紙を見ると石井桃子の評が載っていて、ああこれかと納得した。
せっかくなので最後にその内容を引いておこうと思う。

■本書について
石井桃子評 ポール・アザールの「本・子ども・大人」の日本語訳が再刊された。欧米では子どもの本に関心をもつ人びとにとって、必読の名著となっているこの本は、日本の児童文学に関心ある人たちにとっても、たのしい福音書となるだろう。
アザールは世界中の子どもを可能性いっぱいの人間と見、かれらが本質を見ぬき、本を選択してきた事実を認め、その力にふさわしい本を与えよと主張する。
アザールがこの本を著してから三十余年、いよいよその内容が新鮮に輝いてみえるのは、それだけ深く普遍的な真実をとらえているからである。 一九六四年再版に際して

この本は結構皮肉っぽいところもあって好きだった。