p.s. about credibility

少し前の記事(am i credible)で、

だから、信頼できる人の勧めた情報を積極的に摂取していくというのは、無意識でもかなり理にかなった情報探索行動ということになるのかなぁ、なんて考えた。

と書いたのだけど、そのあとダ・ヴィンチの10月号を読んでいたらこんな話が載っていた。

名越 …人間って、この人は信頼できるって決めたら変えにくいものなんですよ。それを変更する時に自分自身の人間性が信頼できなくなってしまうでしょう。だから…それを変更するのは本当に難しい。
内田樹×名越康文×橋口いくよ「勝手に開催! 国づくり緊急サミット 第3回 後ろ姿は大丈夫?」p.197)

名越さんは精神科医の方。
まぁそうだよなぁと思った。
だから、情報の信頼性よりも人間の信頼性のほうが判断しやすいけれど、それはそれでリスクが完全になくなるわけではないよねと。


この問題に対応するためにはやっぱり客観的な情報を…? と一瞬考えてしまうのだが、それでは単に振り出しに戻ってしまう。
だから、多分、信頼できそうな人の数を1人だけにしないってことかなぁ。
2,3人、できればちょっと方向性の違う信頼できそうな人を作っておけば、変なところに行きそうになったときに歯止めが効きやすいだろうか。
もちろんこれで完璧! というやり方なんかなくて、ある程度の信頼性をある程度の労力で、と考えるとそれが楽かなと。


…って、ここまで書いて、もらってばかりでいいのだろうかとも思った。
楽して残った労力でじゃあ何すんねんという。
まぁ、それは、別の話。